第4巻「シルクロード」 — 賭けの本体、そしてもう通れない道
デリーからバスに乗り、西へ向かう。 ここからが「デリーからロンドンまで乗合バスで行けるか」という賭けの本体です。 そして同時に、現在の旅行者がそのままたどることのできない区間でもあります。 ※作品の本文は掲載していません。
最終更新:2026年8月8日
この巻の位置づけ
| 巻 | 新潮文庫版 第4巻 |
|---|---|
| 舞台 | パキスタン(ペシャワール)/アフガニスタン(カブール)/イラン(テヘラン) |
| 移動 | 陸路。乗合バスを乗り継いで西進 |
| 巻末対談 | 今福龍太 |
ようやく「本題」が始まる
前半3巻をかけてデリーに着き、この巻でついにバスに乗ります。 タイトルの「シルクロード」が示すとおり、 ここからは古くから東西を結んできた道を、そのままなぞる旅になります。
そして皮肉なことに、本題が始まった途端、旅は単調になります。 バスに乗り、降り、また乗る。景色は乾いた土地が続く。 前半のような濃密な出会いは減り、移動そのものが日々の中心になります。 賭けを実行するとはこういうことだ、という現実が書かれる巻です。
乗合バスで西へ、とはどういうことか
「デリーからロンドンまで乗合バスで」という賭けは、 言葉にすると単純ですが、実行するとひたすら地味な作業になります。 この巻が読者に伝えるのは、その地味さそのものです。
- 路線は通しで存在しない — 都市から都市へ、短い区間のバスを乗り継いでいくしかない
- 時刻表があてにならない — 出発は人が集まってから、という運行が普通にある
- 国境が待ち時間を生む — 越えるだけで半日かかることがある
- 景色が変わらない — 乾いた土地が延々と続き、進んでいる実感が薄い
移動が目的になった旅は、移動が退屈になった瞬間に苦行に変わります。 前半3巻の寄り道が輝いて見えるのは、この巻があるからだ、とも言えます。
第1巻から第3巻までの旅は、寄り道が主役でした。 ところがこの巻からは、目的地に近づくことが最優先になります。 留まる自由が減り、日程が意識され、移動が義務に近づく。 賭けを実行するという行為が、旅から自由を奪っていく—— この皮肉が、第4巻を通して静かに効いてきます。
1974年だから通れた道
作中の旅は1974年のものです。当時、パキスタンからアフガニスタン、イランを陸路で抜けるのは、 西へ向かう旅行者にとってごく普通の経路でした。 いわゆるヒッピー・トレイルと呼ばれた道筋にあたります。
その後の情勢の変化により、この経路は現在、同じようにはたどれません。 渡航そのものの可否から確認が必要な国が含まれます。 実際の渡航にあたっては、必ず外務省海外安全ホームページで最新情報をご確認ください。
つまりこの第4巻は、作品全体のなかで最も「失われた」巻です。 他の巻の舞台は形を変えながらも訪ねられますが、 ここだけは本を読むこと以外に体験する方法がありません。 半世紀という時間の重さが、いちばん出ている一冊だと思います。
ヒッピー・トレイルとは何だったのか
1960年代から70年代にかけて、ヨーロッパからアジアへ、 あるいはその逆向きに、陸路で大陸を横断する若者の流れがありました。 これがヒッピー・トレイルと呼ばれた道筋です。
重要なのは、これが特別な冒険ではなかったという点です。 道沿いには安宿があり、同じ方向へ進む旅行者がいて、 情報は口伝てで回っていました。 ガイドブックではなく、途中で会った人が次の宿を教えてくれる—— そういう仕組みで成立していた移動です。
『深夜特急』が旅行記として特異なのは、 この道がまだ普通に存在していた最後の時期を記録していることです。 その後の情勢の変化で流れは途絶えました。 つまりこの巻は、意図せずして失われた交通路の記録になっています。 作品が後年に与えた影響については『深夜特急』が残したものにまとめました。
現代の代替ルート
いまインドからトルコへ陸路で抜けようとすると、 現実的な選択肢は中央アジア経由になります。 ウズベキスタン、キルギス、カザフスタン。 いずれも日本人はビザ不要で、シルクロードの北側の道筋にあたります。
| 作中(1974年) | 現代の代替 |
|---|---|
| デリー → ペシャワール | 空路でインドから中央アジアへ抜ける |
| ペシャワール → カブール | 代替不能。方向だけをサマルカンド・ブハラで引き継ぐ |
| カブール → テヘラン | アルマトイ方面へ抜け、そこから西へ |
| テヘラン → アンカラ | カスピ海の北側を回ってトルコへ入る |
こちらの旅でも2月④〜⑤に、サマルカンド・ブハラからアルマトイへ抜ける形で この巻の代替としています。 同じ道ではないが、同じ方向へ、同じように陸路で抜ける—— できるのはそこまでです(作中の経路との対応)。