第6巻「南ヨーロッパ・ロンドン」 — サグレスと、旅の終わり
最終巻です。ユーラシア大陸の南西の端まで行き着いてから、ロンドンへ向かいます。 目的地に着くことが、そのまま旅の終わりを意味してしまう—— その避けられなさが書かれた一冊です。※作品の本文は掲載していません。
最終更新:2026年8月8日
この巻の位置づけ
| 巻 | 新潮文庫版 第6巻(最終巻) |
|---|---|
| 舞台 | フランス(マルセイユ、パリ)/スペイン(マドリード)/ポルトガル(リスボン、サグレス)/ロンドン |
| 単行本 | 第三便『飛光よ、飛光よ』(1992年)にあたる |
| 巻末対談 | 井上陽水 |
6年待たされた完結編
単行本の第一便・第二便が刊行されたのは1986年でした。 しかし完結にあたる第三便が出たのは1992年です。 つまり当時の読者は、旅の結末を6年間待ったことになります。
著者にとっても、この旅を終わらせることは簡単ではなかったようです。 旅そのものは1974年ですから、完結までに18年かかった計算になります (作品の成り立ち)。 書き終えることが、旅を本当に終わらせることだったのかもしれません。
サグレス — 大陸の端
この巻でよく語られるのが、ポルトガル南西部のサグレスです。 ここはユーラシア大陸の南西の端にあたり、 その先には大西洋しかありません。
東の端の香港から始まった旅が、大陸の反対の端まで来てしまった。 地理的に、これ以上西へは行けないという場所です。 目的地であるロンドンより先に、この「端」に到達してしまうところが、 この作品の終わり方を独特なものにしています。
ロンドンに着くということ
そしてサグレスの次が、ロンドンです。 1冊目から数えて6冊、旅としては1年以上。 「デリーからロンドンまで乗合バスで行けるか」という賭けが、ここで決着します。
ただし、この作品は着いたことを大きく祝いません。 着いてしまえば旅は終わる。 目的地とは、旅を殺す場所でもある—— その両義性を抱えたまま、物語は閉じられます。
なぜ「バスの旅」の記録なのに終わりが静かなのか
6巻を通して読むと、この作品が達成の物語として設計されていないことが分かります。 賭けは果たされます。ロンドンには着きます。 それでも読後に残るのは、達成感ではなく喪失感に近いものです。
理由は構造にあります。前半3巻は寄り道でできていました。 つまりこの作品がいちばん熱を持っていたのは、目的地から遠ざかっている間です。 目的地へ近づく後半は、その熱が抜けていく過程として書かれている。 だから最後に着いても、盛り上がりようがありません。
この巻には、ロンドンへの到着を遅らせる動きが繰り返し出てきます。 ①南ヨーロッパをわざわざ大きく回る、②大陸の西の端まで行ってしまう、 ③そこから引き返す形でロンドンへ向かう。 いずれも最短ではありません。 着きたくないから遠回りをするという第1巻以来の癖が、 最後の最後まで働いています。
読み終えたあとに何を読めばいいか迷ったら、 次に読む本に系統別の候補をまとめました。
この区間は、いまもたどれる
南ヨーロッパとロンドンは、現在もそのままたどれる区間です。 こちらの旅でも、作中と同じ順序—— パリ→マルセイユ→マドリード→リスボン・サグレス→ロンドン——で 通ることにしました(5月①〜⑤)。
ロンドンを欧州区間の最後に置いたのは、まさにこの巻の構成に合わせたためです。 サグレスの次にロンドンへ着くという順番そのものに意味があると考えました。 こちらの旅ではロンドンのあと、作中にはないアフリカ以降の後半戦が続きます (作中の経路との対応)。
巻末対談は井上陽水
最終巻の巻末には、井上陽水との対談が収録されています。 全6巻を読み終えた直後に置かれる一編で、 締めくくりとして記憶に残っている読者が多い組み合わせです。