第1巻「香港・マカオ」 — 旅はなぜ香港から始まるのか
『深夜特急』の第1巻は、デリーでもロンドンでもなく香港から始まります。 そしてこの「本題前の寄り道」こそが、シリーズ全体で最も熱量の高い巻として 読者に記憶されています。※作品の本文は掲載していません。
最終更新:2026年8月8日
この巻の位置づけ
| 巻 | 新潮文庫版 第1巻 |
|---|---|
| 舞台 | 香港・マカオ |
| 旅の時期 | 1974年(著者26歳) |
| 単行本 | 第一便『黄金宮殿』(1986年)の前半にあたる |
| 巻末対談 | 山口文憲 |
6巻を通して読むと分かることですが、この旅は 「デリーからロンドンまで乗合バスで行けるか」という賭けの実行であるはずなのに、 第1巻の時点ではまだスタート地点にすら立っていません。 本来なら経由地にすぎない香港とマカオで、著者は動けなくなります。 その「動けなさ」がこの巻の主題です。
なぜ香港から始まるのか
当時、日本からデリーへ向かう航空券には経由地で降りられるものがあり、 著者はその途中降機を使って香港に立ち寄ります。 つまり香港行きは計画の一部ではなく、ついででした。
ところがこの「ついで」の街が、旅人としての著者を作り替えてしまいます。 予定を優先して通過していたら『深夜特急』という作品は まったく別のものになっていたはずで、 寄り道が本編を乗っ取るというこの作品の構造は、第1巻の時点で完成しています。
香港:旅の熱に感染する
第1巻の香港パートで描かれるのは、名所や観光ではありません。 安宿の住人たち、街頭の食べ物、夜の街の喧騒、 値切りと駆け引きで回る経済。 生活の熱気そのものが描写の中心です。
ここで著者は「そこに居るだけで面白い」という状態に入ってしまい、 先へ進む理由を見失っていきます。 読者から見ると、これは旅行記というより ひとつの街に恋をする過程の記録に近い。 香港が『深夜特急』全体のなかで特別な場所として語られ続けるのは、このためです。
マカオ:博打「大小」の名場面
香港からフェリーで渡ったマカオで、著者はカジノに出会います。 のめり込むのは「大小(タイスウ)」—— サイコロ3つの出目の合計が大きいか小さいかに賭ける、単純きわまりない博打です。
このマカオのくだりは、シリーズ全体でも屈指の名場面として知られています。 単純なゲームに、なぜ人はここまで熱くなれるのか。 勝負の流れをどう読み、どこで降りるのか。 博打を通して「賭けること」自体の質感を書き切った文章として、 この場面だけを目当てに第1巻を読み返す読者もいるほどです。
思い返せば、この旅自体が「デリーからロンドンまで乗合バスで行けるか」という 賭けとして始まっています。 マカオの賭博場の場面は単なるエピソードではなく、 旅全体の縮図として置かれている——と読むこともできます。 このあたりの読み方は作品解説も参照してください。
巻末対談は山口文憲
新潮文庫版第1巻の巻末には、著者と山口文憲の対談が収録されています。 山口文憲は香港に長く滞在した経験を持つ文筆家で、 香港を扱った著作で知られる人物。 第1巻の舞台を最もよく知る書き手との組み合わせで、 本編を読み終えた直後に読むと、香港という街の解像度がもう一段上がります。
第1巻から読み始めていいか
むしろ第1巻から読むべきです。 シリーズの刊行順・巻数順であると同時に、 旅の時系列の始まりでもあり、そして作品全体で最も勢いのある巻だからです。 ここで合わなければ以降も合わない可能性が高く、 逆にここで捕まったら、あとは最終巻まで止まりません。